常滑焼の歴史は、平安時代の末期、西暦12世紀まで遡る。知多半島の丘陵に築かれた古窯では、早くから大型の壷や甓が焼かれ、全国に供給されていた。 中世期の常滑焼の特徴は器の形や窯の構造に改良を加えるなどして近世に受け継がれていった。しかし、江戸時代の後半に至り、 常滑焼の中に新たに小細工物という分野が確立する。茶器や花器酒器など小型の雅陶がそれで、今日に伝わる名工と呼ばれる人々は、小細工物の作者である。 江戸時代も末の天保年間頃になると、小細工物の中に急須が登場してくる。常滑における朱泥急須の完成は安政元年のこととされており、それ以前に、焼き締めや白泥藻掛けの急須があったものと推測される。明治期の常滑では土管生産を契機として産業構造の大きな転換が進んだ。 一方、陶芸の分野での新たな試みも急速に進み、急須造りが本格化するのもこの時期である。初代山田常山はこの時代に頭角を現わし、精緻なロクロ成形による急須の名品を数多く生み出してゆく。常山の急須は、類稀なロクロ技法から生み出される端正な仕上がりを代々受け継いで今日に至っている。 |
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出光昭介・常滑市民俗資料館・愛知県陶磁資料館
写真スタジオ和光(谷川和親)・杉江南峰・常滑市広報課